2011-06-17 第177回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第5号
○舛添要一君 もう時間がなくなりますから時間厳守で参りたいと思いますが、昭和十八年の元旦の東京朝日新聞、緒方竹虎に頼まれて、私の郷里福岡の先輩である中野正剛が「戦時宰相論」という文章を書いている。東条英機はそれを見て、俺を皮肉って批判したなと言って発禁処分にするんですね。 実は、時間があればそれ全部紹介したいんですが、是非それは秘書官に言って、今日じっくりお読みいただいてください。
○舛添要一君 もう時間がなくなりますから時間厳守で参りたいと思いますが、昭和十八年の元旦の東京朝日新聞、緒方竹虎に頼まれて、私の郷里福岡の先輩である中野正剛が「戦時宰相論」という文章を書いている。東条英機はそれを見て、俺を皮肉って批判したなと言って発禁処分にするんですね。 実は、時間があればそれ全部紹介したいんですが、是非それは秘書官に言って、今日じっくりお読みいただいてください。
これは一九二八年、昭和三年十月一日の東京朝日新聞の朝刊であります。「民意司法に反映して 立憲政治初めて整ふ」、「官僚の裁判から 国民参与の裁判へ」と、こういう見出しになっております。これは日本で陪審制度が始まった日の新聞であります。 民意司法に反映とか官僚の裁判からといった制度の意義に関する辺りは、実は来月二十一日の朝刊の見出しにも使われるかもしれません。
当時の東京朝日新聞というのがございます。「どうして下さる? 二億圓の汗の結晶」、こうかなり大きく扱っておりまして、何ですか今日の動きにやや似たような感じがしないでもないのであります。 これらの動きで預金者の不安が広がってまいりまして、次々と銀行が休業をいたし、全国にこれがパニックとなって広がって、昭和の大恐慌に至ってしまったわけでございます。
早大卒業後、君はロンドン大学に留学し、政治経済学の研さんに励まれ、帰朝後、東京朝日新聞記者となり、井上準之助暗殺事件の特だねを上げるなど敏腕をふるわれ、昭和十五年には大陸新報政治部長兼論説委員長として風雲急を告げる上海に赴任し、日中の橋渡しとして活躍されました。
○市川房枝君 農林大臣、もう一つ伺いたいんですが、昨年来、東京朝日新聞に有志佐和子さんが「複合汚染」という題目で小説を書いておられるんですが、その中で、つまり農薬を使わない有機農業といいますか、その実例をいろいろ紹介されておりますが、これは一般の読者から非常な関心を集めておるようです。農林大臣は読んでおられますか。
○市川房枝君 この問題について四月九日でしたか、東京朝日新聞の「今日の問題」というところでこの問題を取り上げて批判をしておりましたが、大臣お読みになりましたか。
君は、そのすぐれた資質を受け、小田原中学を経て、早稲田大学政治経済学部に進み、大正十二年に卒業し、東京朝日新聞社に入社されました。農林省担当の政治部記者となった君は、持ち前の鋭い勘と、旺盛な闘志とをもって数々の特だねをものにするなど、気鋭の記者として省内に名をはせるに至りました。この間において、一方では、農業問題についてじみちな研さんを積み、将来に備えることを忘れなかったのであります。
二月一日付の東京朝日新聞の夕刊に、御承知のように「今日の問題」というのが載っております。これは大所高所論です。「大所高所」という題で論説を書いておりますが、大体こういうことを言っております。「昭和三十年七月の特別円に関する協定締結から六年半も経って、その内容を変更し、貸すはずのものが進呈になったというのは、国際間の協定としては前例のないところらしい。
この問題が発表されましたときに、東京朝日新聞の記事にこういうことが書いてあるのです。これはもう全国にばらまかれておるわけです。「学校が夏休みになったと思ったら、文部省が小・中学校の学習指導要領改訂案なるものを発表した。今までの六・三教育の内容をほとんど全面的にひっくり返すようなものである。それについて全国の教育委員会は意見があるなら八月中に出せ、十月一日には本決りにして官報に告示するという。
これは国会図書館から借り出した切り抜きですが、去年の六月二十三日の東京朝日新聞にこのことが出ております。「死刑覆えす新証拠か、佐藤被告アリバイ・メモ」こういうふうに出ているのですよ。最高検にあることだけはそれでわかったのです。そこで最高検のどなたがお答えになったのかわかりませんが、朝日新聞社に対して最高検が答えられていることが出ております。
その反対の論拠は、衆議院の文教委員会で南原先生、矢内原先生、それから東京朝日新聞の友人であります論説委員の伊藤昇さんのおっしゃった意見で、ほとんど委曲は尽きていると存じます。どうか参議院の諸公が、この議事録の中のそういう方々の述べられました公述の意見を、できるだけ御参照下さって、賢明な判断をして下さることをお願いする次第であります。
ごらんになったと思いますが、三月六日付の東京朝日新聞に、埼玉の労働基準局に奉職している一人として投書が出ております。これは会計検査院のことなのでありますが、会計検査院としてはこういうことをお調べになっておりますか。こういう事実があったかどうか、あるいはそこへ行った職員が一体どういう人かということをお調べになったかどうか、それをちょっと伺いたいと思います。
たとえてみまするならば、この六月六日のニュース・ウイーク誌上におきまして、あるいはまた七月二日におきますところのエコノミスト誌上、あるいはまたイースタン・ワールド誌におきましても、あるいはまたエコノミストの東京特派員が打電いたしておりますところの、英国からの七月四日の東京朝日新聞の欧州総局からの返電の記事によって見ましても、日本は今やこの外交問題につきまして二重外交ではなかろうか、あるいはまた日本の
次に、今二十四日の東京朝日新聞千葉版に報道いたしておりますところによりますれば、先ほど社会党の代表からもお示しがありましたことく、自由党報が千葉県下の各中小学校に一校三十部ないし四十部ずつ配布されております。
野村君は、明治四十年九月早稲田大学を卒業して、大正元年十一月中央新聞社政治部記者となり、爾来ジヤーナリストとして活躍し、その間、国民新聞社政治部記者となり、その後東京朝日新聞社に入社し、同社政治部長、論説委員、編集局長、代表取締役等に就任して後、同社社友となりましたが、又他方、行政監察委員、全国選挙管理委員会委員、地方財政委員会委員長、電波監理審議会委員等を歴任し、現在旧軍港市国有財産処理審議会委員及
東京朝日新聞の十一月十五日の社説の中に、政府の食糧政策は前とうしろに馬をつけた馬車のようなものだ。前にひつぱる馬があり、うしろにひつばる馬がある。この論説は私は適評だと思います。いいかえますならば、外米輸入とか、あるいは食糧増産五箇年計画というものが前進する馬であるならば、米の統制を撤廃するという自由経済移行というのはうしろにひつばる馬です。
それによりますと、十八日の東京朝日新聞等で発表されておりますところを見ますと、佐世保とか横須賀、こういうところは軍港として指定されているわけですが、こういうところに入つて来ます外国の軍用艦船に対しましては、日本の検疫の事務は全然介入しないということになるのですか、どうですか。
現に昨日、東京朝日新聞の「声」の欄によりますと、「何故の弾圧か」というので、学生の投書が載つておりますが、これを見ますと、学生たちがこういう運動を起そうというので決意したのは、実に今年の初めあたりのようであります。これまでに数回警察に交渉しておる。ところが、警察がこれに対して言を左右にしていろいろ許さない。こういう事態が起つておる。
これは東京朝日新聞の昨年の十二月十五日にも出ておりましたが、こういつたような実情があるわけであります。これに対して兒童局——これは特に人身売買は兒童局に限つたことではありませんが、子供にも関係しておりますから聞くのでありますが、兒童局の予算というものについて、これまたどういうふうにお考えになりますか。たいへんに今度は減つておるわけです。これでよろしいか。少し責任のある答弁を願いたいと思います。
しかもこの二十六年十一月十一日の東京朝日新聞の夕刊にこう書いてある。いろいろな監査制度は設けておるけれども「わが国でも寸会計検査院が多頭の三人検査官になる以前の単独官庁の方が能率を上げていたようだ。」と書いてある。ゆえに単独官庁ということになれば検査院長一人の責任であるけれども、三人の検査官会議であらゆるものをやみからやみに葬つてしまつておる。ことにあなたは大蔵省に関係しておつたこともある。